今日もレッドブルキメてます。
どうもユヅキです。
つい先日こんなツイートをしました。
するとどうでしょう。
わたしの身を案じた連絡がそこそこにくるのです。
「死ぬんか?」
「ご飯行きます?」
「何かあったんですよね」
「とりあえず本番の音響だけはやってください」
etc...
なんだ?
俺はメンヘラとでも思われてんのか?
実際大した意味も意図もなく単に
そうだ。Twitterをやめよう。うん。
と考えた結果としてあのツイートになったわけだが。
友達曰く
「あー 匂わせてんなー」
と思ったとのこと。
なるほど。
これが世に言う「匂わせツイート」というやつか。
何一つ隠し味のない文章なんだがね。
何にせよ心配してくれた方、ありがとうございました。
ということで本題。
何故Twitterをやめようと思うに至ったか。
それを説明しよう。
結論から言うと
「Twitterを見ている時が一番自分の性格が悪いなぁと感じることが多いから」
です。
「いつも性格悪いやんけ」
という声が聴こえなくもないが一旦置いといて。
Twitterからは、フォローしている人の呟きから世の中で話題になっていること、はたまた世界情勢から国内政治まであらゆる情報(真偽はともかく)が目に入ります。
もちろん有益な話や知っといてよかったなぁなんてマメ知識を得られることも多々あるんだけど、それ以上に人間の本能というか作為というか悪意というか善意という刃物というか、そういうものが溢れているのね。
で、いつの間にかそれらを当たり前に思考に入れている自分に気付いたり、違和感を持ち続けたりしながらも文章や情報を読んでしまったり、対立しているところの進捗や結果を見てしまったりと、何だか野次馬精神みたいな感覚に陥っているなぁと思うことがあって。
基本的に関わらない人間のことはほっとけよと考えているんだけど、Twitterを見ていると何だかそれがうまくいかなくなってる気がするのよ。
演劇絡みのツイートが必然的に多くタイムラインに流れてくるのだけれど、そういったものに対してもあんまり楽しいフラットな気持ちで見ていることが少なくなったなぁと。
じゃあどんな時に性格悪いなぁと思うか。
例えば。
例えばよ?
よく殺陣やアクションをやっている様を動画で挙げたりそういった類のYouTube動画への誘導があるんだけど、とあるツイートで
「※速度は弄っていません」
なる注意書き?が添えられていたとしよう。
するとわたしは
「よっぽど速いんだろうな」
と思って見に行ってしまうのだ。
で、大抵が
「速くねーじゃねーか!」
となっている。
分かりますかね?
ツイートした人がどういう感覚や気持ちで書いたかはともかく、文字面と言葉を自分なりに解釈して捉える癖みたいなもんが、もはや性格悪いんじゃねーかという高みに昇華している疑惑。
先のツイートも
「俺たちこんなに速く動けるんで見てください!」
だったら別にいいのよ。
自分の尺度でモノ言ってますって解るように言う人は全然いいんだ。
でも「速度は弄ってません」となると何だか気持ち悪く映るのよね。
ネタとして芸としてそういう書き方する人は気にならないんだけどなぁ。
あとはよく動画とかでも言ってることで、綺麗事でまとめたい時に都合よく演劇界を一括りに使う奴が苦手なのだが、まあTwitterにはそんな感じの文言が飛び交っている、ような気がする。
自分が気になるから目立つだけという説もあるが。
「演劇を無くしたくないからわたしたちを応援してくれ」
これはなかなかパンチがある言葉なのよ。
平田オリザさんとか野田秀樹さんあたりが言うならまあ違和感ないかも。
要はやりたいことをやりたいようにやってそれをお客さんに観てもらって自分たちもお客さんにも何かプラスになったらいいよね!
でもコロナやら何やらでそれをやるには厳しいから
「自分を、自分達のやりたいことを無くしたくないから応援してくれ」
だったら全然気にならないんだけどなぁ。
小劇場を盛り上げたいとか演劇を広く知ってほしいとか本気で考えて動いてる人も知っているけども、どこか演劇そのものを自身にも他者にも人質のように扱って発信する人間もいるわけで。
じゃあお前は演劇のために何かやってんのかよって聞かれることもたまーにある(主にネット)が、
何もやってねーよ。
演劇のためとか演劇界全体のためとか考えたこともねーわ。
いや、あるな。
思考としてはね。
自分のやりたいことやら仕事やら創るモノやらを「演劇のために」なんて考えてやったことはないって話。
また横道に逸れていくからまとめよう。
まあ要するにこういう感じでなーんか引っ掛かるなーってのがTwitterには沢山存在していて、それを考えたり感じたりするのが疲れたってことかな。
思考するのは好きだけど、ともすればただの批判や自己中心的な考えに縛られていく可能性も無きにしもあらずと思うのでね。
総じて「ほっときゃいいじゃん」というのが基本線の俺が「ほっておかずに思考してしまう」というのが「性格が悪い」のではないかと思ってしまって結果疲れるみたいな。
うん。そんな感じ。
で、
ならTwitterやめればいいんじゃね?
というありきたりな答えに行き着いたものの、今までリプライやらリツイートやらいいねやらお世話になった人達にせめて一言と思い、冒頭のツイートに至るというわけ。
ね?
大した理由じゃないでしょ?
更にいうと別にアカウントを消すこともありません。
あくまで積極的に見なくなるだけです。
なので、このブログだとかYouTubeだとかあやいち道場のこととか普通に発信ツールとしては使っていきますし、たまにはフォロワーさんと絡んだりもするかもしれない。
そんな程度のお話。
長々と読んで頂いたそこの貴方。
お付き合い頂いてありがとうございました。
これからもどうぞ宜しく。
応援してね!
どうもユヅキです。
つい先日こんなツイートをしました。
ここで一旦。
— ユヅキ (@yuduki_sns) March 28, 2022
今までありがとうございました。
するとどうでしょう。
わたしの身を案じた連絡がそこそこにくるのです。
「死ぬんか?」
「ご飯行きます?」
「何かあったんですよね」
「とりあえず本番の音響だけはやってください」
etc...
なんだ?
俺はメンヘラとでも思われてんのか?
実際大した意味も意図もなく単に
そうだ。Twitterをやめよう。うん。
と考えた結果としてあのツイートになったわけだが。
友達曰く
「あー 匂わせてんなー」
と思ったとのこと。
なるほど。
これが世に言う「匂わせツイート」というやつか。
何一つ隠し味のない文章なんだがね。
何にせよ心配してくれた方、ありがとうございました。
ということで本題。
何故Twitterをやめようと思うに至ったか。
それを説明しよう。
結論から言うと
「Twitterを見ている時が一番自分の性格が悪いなぁと感じることが多いから」
です。
「いつも性格悪いやんけ」
という声が聴こえなくもないが一旦置いといて。
Twitterからは、フォローしている人の呟きから世の中で話題になっていること、はたまた世界情勢から国内政治まであらゆる情報(真偽はともかく)が目に入ります。
もちろん有益な話や知っといてよかったなぁなんてマメ知識を得られることも多々あるんだけど、それ以上に人間の本能というか作為というか悪意というか善意という刃物というか、そういうものが溢れているのね。
で、いつの間にかそれらを当たり前に思考に入れている自分に気付いたり、違和感を持ち続けたりしながらも文章や情報を読んでしまったり、対立しているところの進捗や結果を見てしまったりと、何だか野次馬精神みたいな感覚に陥っているなぁと思うことがあって。
基本的に関わらない人間のことはほっとけよと考えているんだけど、Twitterを見ていると何だかそれがうまくいかなくなってる気がするのよ。
演劇絡みのツイートが必然的に多くタイムラインに流れてくるのだけれど、そういったものに対してもあんまり楽しいフラットな気持ちで見ていることが少なくなったなぁと。
じゃあどんな時に性格悪いなぁと思うか。
例えば。
例えばよ?
よく殺陣やアクションをやっている様を動画で挙げたりそういった類のYouTube動画への誘導があるんだけど、とあるツイートで
「※速度は弄っていません」
なる注意書き?が添えられていたとしよう。
するとわたしは
「よっぽど速いんだろうな」
と思って見に行ってしまうのだ。
で、大抵が
「速くねーじゃねーか!」
となっている。
分かりますかね?
ツイートした人がどういう感覚や気持ちで書いたかはともかく、文字面と言葉を自分なりに解釈して捉える癖みたいなもんが、もはや性格悪いんじゃねーかという高みに昇華している疑惑。
先のツイートも
「俺たちこんなに速く動けるんで見てください!」
だったら別にいいのよ。
自分の尺度でモノ言ってますって解るように言う人は全然いいんだ。
でも「速度は弄ってません」となると何だか気持ち悪く映るのよね。
ネタとして芸としてそういう書き方する人は気にならないんだけどなぁ。
あとはよく動画とかでも言ってることで、綺麗事でまとめたい時に都合よく演劇界を一括りに使う奴が苦手なのだが、まあTwitterにはそんな感じの文言が飛び交っている、ような気がする。
自分が気になるから目立つだけという説もあるが。
「演劇を無くしたくないからわたしたちを応援してくれ」
これはなかなかパンチがある言葉なのよ。
平田オリザさんとか野田秀樹さんあたりが言うならまあ違和感ないかも。
要はやりたいことをやりたいようにやってそれをお客さんに観てもらって自分たちもお客さんにも何かプラスになったらいいよね!
でもコロナやら何やらでそれをやるには厳しいから
「自分を、自分達のやりたいことを無くしたくないから応援してくれ」
だったら全然気にならないんだけどなぁ。
小劇場を盛り上げたいとか演劇を広く知ってほしいとか本気で考えて動いてる人も知っているけども、どこか演劇そのものを自身にも他者にも人質のように扱って発信する人間もいるわけで。
じゃあお前は演劇のために何かやってんのかよって聞かれることもたまーにある(主にネット)が、
何もやってねーよ。
演劇のためとか演劇界全体のためとか考えたこともねーわ。
いや、あるな。
思考としてはね。
自分のやりたいことやら仕事やら創るモノやらを「演劇のために」なんて考えてやったことはないって話。
また横道に逸れていくからまとめよう。
まあ要するにこういう感じでなーんか引っ掛かるなーってのがTwitterには沢山存在していて、それを考えたり感じたりするのが疲れたってことかな。
思考するのは好きだけど、ともすればただの批判や自己中心的な考えに縛られていく可能性も無きにしもあらずと思うのでね。
総じて「ほっときゃいいじゃん」というのが基本線の俺が「ほっておかずに思考してしまう」というのが「性格が悪い」のではないかと思ってしまって結果疲れるみたいな。
うん。そんな感じ。
で、
ならTwitterやめればいいんじゃね?
というありきたりな答えに行き着いたものの、今までリプライやらリツイートやらいいねやらお世話になった人達にせめて一言と思い、冒頭のツイートに至るというわけ。
ね?
大した理由じゃないでしょ?
更にいうと別にアカウントを消すこともありません。
あくまで積極的に見なくなるだけです。
なので、このブログだとかYouTubeだとかあやいち道場のこととか普通に発信ツールとしては使っていきますし、たまにはフォロワーさんと絡んだりもするかもしれない。
そんな程度のお話。
長々と読んで頂いたそこの貴方。
お付き合い頂いてありがとうございました。
これからもどうぞ宜しく。
応援してね!