姉の子供と初めて会った。
望みながら苦しみながらやっとの思いで授かった命。
まずは元気に生まれてきてくれて、健康に育っていてくれてありがたい。
俺は何にもしていない。これはマジ。
何なら結婚のお祝いすらまだしていない。
何とも薄情な弟。
一時期全く連絡を取らなかった。
正確には取れないように俺がした。
深い考えや理由があったわけじゃない。
ただ関わりを持ちたくなかった。
自分のことだけで、自分の世界だけでいいと思っていた。
まさに中二病。
当時から姉は家族の繋がりというものに拘る人だった。
子供の頃はワガママし放題の困ったちゃんだったのが、いざ母を亡くし父が家に寄り付かなくなって俺と二人の生活時間が増えるにつれて、妙に家族家族と言い出すようになった。
俺はというと、さっさと縁を切りたいと勝手に上京を決めて勝手に飛び出して以降、たまに帰っても親父と喧嘩する始末。
家に残った姉に
「あんたは好きにやってていいね」
と恨み節を言われたら
「じゃあアンタも出ていけばいいじゃん」
とにべもなく。
ホントにそう思っていたしね。
嫌なら自分で嫌じゃないとこに行きゃあいい。
そんな思考。
それでも姉は最終的にはいつも
「だって家族なんだから」
に着地する。
おれにはその思考が解らなかった。
正直今でもその思考と同じベクトルにはなれていない。
血の繋がりに何の価値がある?
大した意味もなくそんなふうな考え方がデフォルトだった。
連絡を断って約10年した頃に、友人に勧められて一度実家を訪ねた。
インターホンを押しても誰もおらず、仕方ないと近くの喫茶店で置き手紙を書いてポストへ入れて去った。
何を書いたか覚えてないが、姉曰く
「とりあえず元気に生きているから心配せずに」
的なことだけ書かれていて、連絡先も何もなかったとのこと。
出先から帰った姉はそれを見てまだその辺にいるかもと車で探したらしい。
当時の名刺を入れたつもりだったが記憶違いか単に忘れたか。
何にせよ姉はこの日にもう俺とは今後も二度と会えないのだろうと思ったらしい。
それから数年後再会を果たした時には目の前で泣かれた。
連絡を取れなくしたことを随分と恨まれた。
何なら今日も散々チクチク。
家族なんだから心配して当たり前。
家族なんだから連絡して当たり前。
俺には未だにその感覚はない。
家族のように想う人はいる。
その人たちの心配をするのは当たり前。
それと同じ感覚なのだとしたら悪いことをしたなと思うけど。
帰りに姉が言った言葉。
「今は連絡したら返してくれるアンタがいるだけで幸せ」
それは少しだけ解る気がする。
大事な人とちゃんと繋がっている。
それは確かにかけがえのないモノだと今なら解る。
またね
と当たり前に言えることは幸せなことなのだと改めて。
自分も誰かにとってそういう存在なのだということは自覚しなければならない。
血の繋がりだとか
大事な人だとか
そこに理由をつけないといけない思考は間違っているんだろう。
血の繋がりは確かにあるけれど、そんなことなど知る由もない3歳の姉の子供が俺にすぐ懐くのを見て
「普段人には懐かないのに、やっぱり家族って解るんやねぇ」
などという根拠のない家族論を吐く姉に反論しかけてやめた。
それを否定する根拠も経験も俺にはない。
何より自分の子供と遊んでいる俺を何やら嬉しそうな顔で見ている姉に余計なことは言いたくなかった。
ちゃんとした意味ではおそらく俺と姉の家族論は一致はしないんだろうけど1つだけ。
ありがとう。
何に対してかはまあ割愛だ。
さて、俺は俺でちゃんと生きなきゃ。
またね。