カップラーメンの魔力人が食べているカップラーメンはなぜあんなにも魅力的に映るのか。自分で食べようと思えば、すぐにでもコンビニで買えるし、別にしばらく食べていないわけでもない。なのに、あの「他人が食べている」カップラーメンには何か特別な魔力がある。ないもの
ブログ・日記
本日はまったりデイ。
おつかれーい。今日もまた、特にこれといった大きな出来事があるわけでもない平凡な日常。平凡の定義って難しいよね。豚汁に焼きそばパンは合わないどちらも別々に見れば魅力的な存在。豚汁は寒い日にぴったりの温かい汁物だし、焼きそばパンは炭水化物好きな日本男児にはた
今日の考えごと諸々。
自分の癖というか、性格で妙に意識しちゃうことがある。それは「他人が出す音」に対して、割と敏感だということ。これ昔からなんだけど、最近その自覚がますます強くなってきた。舞台本番中はまあ過敏になるのはしょうがないとしても、ここのところ日常にもその感覚が侵食し
キャラメルコーンと静かな一日。
どうも、ユヅキです。今日は割とまったりしたスケジュール。やはり精力的に動き回っている日の方が書けることは多いが、何も特別なことのない一日というのも悪くないね。チョコキャラメルコーンとの出会い最近すっかり甘党の鬼だった姿は影を潜め、せいぜい甘党の弱者くらい
久しぶりの雨、そして新年にこだわるオトコ。
新しい年が始まり、生活も少しずつ通常運転?に戻ってきた。気づけばもう1月も数日が過ぎ、年末年始のゆったりした空気感は薄れ始め日常が顔を覗かせている。今日はそんな日常の一コマを振り返りながらも、ブログを続けることで新年感を何とか取り繕おうと思う。早起き成功。
寝坊とレッドブルと誕生日。
2025年1月5日、曇り空。冬の冷たい空気が部屋の窓ガラスに霜を描くような朝だった。目が覚めたのは乗るはずの電車の発車タイム。2回目の寝坊だ。年が明けてたった5日しか経っていないというのに、もう2回目の寝坊。新年の抱負のひとつに「朝はもうちょっと頑張る」というのを
今年初寝坊と友との再会。
2025年1月4日、晴れた日曜日。新年が始まって数日が経ったが、おれにとっての今年初寝坊がやってきた。スマホのアラームの音が耳に届いたときには、すでに寝坊の余韻が漂っている。いつもは目覚ましに敏感なのだが、昨夜の配信が長引いたためか疲れていたようだ。俊敏な動き
年明け早々、いろいろあるよね。
新年明けて、もう3日目。早いなぁなんて思いながら今日は朝から電車移動。さすがに年明け3日目くらいでは車内はガラガラ。乗客の皆さんを見ると皆一様に眠そうだ。そりゃそうさ。俺も超絶眠いもん。そんな新年。今年はいい年にならねぇかな・・・とか漫然と思っていたら、ほ
今年初めてお餅を食べた話と、これからの目標について。
新年が明けてもう数日が過ぎましたが、今年も恒例の「お餅生活」がスタートしました。お正月といえばお餅。お雑煮や磯辺焼き、お汁粉など、日本の冬には欠かせない存在ですよね。今年もそんなお餅を楽しもうと意気込んでいた私ですが、実は今年初めて体験した「残念なお餅体
初ライブが卒業ライブだとそりゃこうなるゼ。
久しぶりに音楽ライブというものに行った。仕事以外でライブハウスに入るのは何年ぶりだろうか。何なら人生の中でお客さんとして音楽ライブを観に行ったのが5回しかない。そしてその内3回は失敗しているのだ。ここで言う失敗とは歌がどうとかライブがダメとかそういうことで
仕込み日記。
お久しぶりの日記的な何か。たまには現場のお話でも。今回はとある照明の専門学校生の方たちとのお仕事。ホールを借りきって演劇に明かりを当てる実習公演というやつです。あくまで照明さん(卵さん)たちの実践の場なので、音響はひとまず最低限のことが出来ればOK。とはいえ
無頼茫々を回顧茫々。
久方ぶりのブログ。 先日終わった公演のお話を少々。 流れで書いていくので諸々温かい目で読んでくれると幸いです。 公演のお話と依頼 「来年、自分主催で公演をやろうと思ってるので、、、」 主宰の多悶さんからお話を聞いた時は内心 「また修羅の道を、
書きなぐりとはこういうことだ。
ここのところ、自身の内面の腐り具合が半端ないゼ。 ちょっとしたことでもイライラするし、他者に対しても優しい思いを継続できない。 こんな自分はイヤだ。 そんな中学生みたいなことを本気で思っている。 内面が腐っていくというのはおそらく自覚した頃にはま
家族愛とか知らないけど今思うこと。
姉の子供と初めて会った。 望みながら苦しみながらやっとの思いで授かった命。 まずは元気に生まれてきてくれて、健康に育っていてくれてありがたい。 俺は何にもしていない。これはマジ。 何なら結婚のお祝いすらまだしていない。 何とも薄情な弟。 一時
ありきたりな書き留め。
人は何かを失ってから大切さに気付くなんて聞き飽きたセリフ。 失ったことを自身がきちんと自覚して 「ああ ちゃんと失ったんだな」 と落とし込めて初めて気付くのだ。 その大切さとやらが如何程のものだったかに。 結局のところは。 ちゃんと生きること