ユヅキ小劇場

カテゴリ: ブログ・日記

お久しぶりの日記的な何か。

たまには現場のお話でも。

今回はとある照明の専門学校生の方たちとのお仕事。

ホールを借りきって演劇に明かりを当てる実習公演というやつです。

あくまで照明さん(卵さん)たちの実践の場なので、音響はひとまず最低限のことが出来ればOK。

とはいえお客さんには観ていただくことになるので仕事は仕事としてきっちりやるのだ。

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劇場スタッフ様に仮設机とマルチ、アナログ卓をお借りしてレッツ巣作り。

まずはマルチ(仮設ブースなので調整室のミキサーやアンプへ直接ケーブルを繋げないため中継するコンセントみたいなやつ)を出す。

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お客さんやスタッフさんが足を引っかけないようにマルチケーブルは扉の上に引っかけてかわす。

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見よ!

アナログミキサー!

しかもMG124cx!

味がありますなぁ。

劇場スタッフさん曰く

「使う人ほとんどいないので僕もよくわかんないです、、、」

ですよね!

ご迷惑をお掛けします。

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というわけでザックリ巣が完成。

割りと快適です。

MGのAUXをプロセ(モノラル)に一発で送るのは初体験。

別に音的に問題あるわけではないのは解っていても何だか不安は拭えない。

携帯電話SEの定位の為にメイン、グループは使えないので仕方なし。

ぶっちゃけMidasのアナログミキサーも貸してもらえるのでそっちにすれば問題ないんだけど、もうMG124cxに決めてしまったからここは初志貫徹。

お客さんに影響出るなら変えるべきだがね。

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今回は美味しいお弁当ナイスケータリング。

そして寝不足を補うためのヤバさ、濃縮。

これは美味しくはなかったですが効き目はありそうですよ。

サウンドチェックはいまいちでしたが、また明日調整して本番はしっかりやってきます。

がんばるぞー!



久方ぶりのブログ。

先日終わった公演のお話を少々。

流れで書いていくので諸々温かい目で読んでくれると幸いです。

公演のお話と依頼

「来年、自分主催で公演をやろうと思ってるので、、、」

主宰の多悶さんからお話を聞いた時は内心

「また修羅の道を、、、」

と思ったがご依頼はありがたいので二つ返事でOKした。

何だかんだで付き合いも長くなり、その人と成り、生真面目さと誠実さは自分なりに知っているので、初開催でも特に心配なし。

どうしてもやりたい本があるとのことだったので、どんな物語なのかも楽しみにしていた。

本を読んだ第一印象は。。。

そんなわけで台本が届き、サッと流し読みしつつト書きと効果音チェック。

・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・

これ、面白いのか?

分かりやすい笑いどころはなくツラツラと大正時代の新聞社と報道に携わる人間の葛藤と苦悩が会話で展開される。

本として読み物として個人的には楽しめる。

ただ、娯楽として観に来る人にはどうなんだろうか。

深く思慮して「お芝居」と「物語」を堪能できるタイプの人には刺さるものもあろう。

だが、そうではない人には?

これは自身がここのところファンタジーや比較的ライトな?作品に多く関わってきたことも影響しているわけだが。

何にせよこれが初めて台本を読んだ印象だった。

荒通し見学はマジの荒通しだった件。

スケジュールもあって、早めに通しを見せてもらうことになり某稽古場へ。

相変わらず遠いところだゼ。

もう慣れたけどね。

というわけで荒通し。

・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・

なげぇ。

2時間40~50分くらいだったか。

プロンプガンガンとか転換お試しとかあるにせよ、さすがにこのタイムは。。。

一抹どころかゴリゴリの不安を覚えて帰路についた記憶。

音出し通し稽古へ。

選曲に多少苦労しつつもプランを終えて最終稽古へゴー。

稽古で初めて音を入れる時はいつもそこはかとなく緊張するのよ。

映像や記憶とは諸々違ってくるからね。

さてさてどうなることやら。

タイム短縮に驚き桃の木。

ひとまず音は形が見える程度にはわかったので一安心しつつ、ランタイムを見ると、、、

2時間10分。

こんな縮むもんなの?

とはいえ2時間オーバーだから長いことは長いのだけれど、前回のタイムがあるから感覚狂うよね。

個人的にはやっぱり1時間30分が観る人には優しいかなぁと思う人。

時代の流れ的にはおそらくもっと短くしていく方が動画慣れしている人々にはハマるのだろうが、こと演劇となるとなかなか。

あんまその流れに迎合すると

なら映像でいいじゃん。

となりかねないもんなぁ。

演劇の力がー・演劇の魅力とはー とか何とか言うつもりはないけど、確実に映像や動画では表せない生の演劇だからこそ!は存在するのよ。

そこをしっかりガッツリやるとなるとまあ2時間も有りっちゃあ有り、、、

でも2時間はケツ痛いよなぁ。

なんてことを考えちゃう演劇好きじゃないマン

よくないね。

公開ゲネはゲネじゃないのよ。

そんなこんなで小屋入りして無事に場当たりも終わりさあゲネプロだ。

しかーし。

今回はゲネが公開でしっかりお金も取るということなのでもはや本番なのだ。

これは人によって様々考え方があるから一概には言えないけども、個人的にはやはりゲネはゲネであって、本番ではできない、もしくは本番でやりたいことへの最終チェックの側面が強い。

でもお金払って時間使ったお客様がいらっしゃるとなると、そんなことはやってられない。

「ちゃんと出来たモノ」を表現して提供しなければならぬのだ。

そんなわけで場当たりから演者さんにも協力してもらってちょっとだけ突っ込んだきっかけ合わせ等々。

場当たりはカンパニーによってそれぞれやり方が違うので、演者が抜いて(本気じゃない)芝居をすることもある。

もちろん本気が必要ではないきっかけもあるが、こと音響に限っては「それなりに本気の声量とテンポと動きでやってもらわないと困ることが多い」。

セリフバックに流すBGMの音量は本意気の声量に合わせないとだし、曲の尺が決まっていて、その尺流しきり演出だった場合、曲が入ってからすべての芝居を本意気でやってもらわないとタイムが取れない。

わたし個人は「場当たりからいつも通り芝居しろ」という教えで来ているので、声のセーブとか体力温存とか舐めたこと言ってんなと思っちゃうワルい癖があったりなかったり。

コンプライアーンス。

効率性、合理性も大事にしつつ、それのみに特化していくことは避けたいのが持論。

他者に押し付けることはしないけどね。

閑話休題。

そんなこんなでゲネらしいことは場当たりで終わらせて無事に公開ゲネはできましたとさ。

本番中の裏話。

大抵何かしら本番期間中はハプニングやら裏話があるものだが、今回はそんなになかったような。

思い付くまま箇条書き。

・転換終わりでMフェードアウトルールなのだが、明らかにあるはずの鞄がないまま転換終わりの空気で音下げるか悩む。

・号外の紙が束になって高村さんに直撃?ちょっと紅子さん笑ってないか?

・授業してる先生が急にピタッと無言になったけどこれはもう音楽アオッてブル転いくか悩む。

・ケータリングのインドカレーの匂いがロビーに残るか心配しながらパクパク。

・客席で盛大にスマホが鳴り響いて、その時の芝居内容何にも入ってこない。マジで勘弁してくれ。

・あやいちのセリフ間違いとか噛みに対して相変わらずむちゃくちゃイラつく。ストレス。よくない。

ザッと思い付くのはこんな感じかな。

大きな事故?はないことになるか。

音響的にはスマホ鳴るのは事故なんだけどね。

俺じゃないよ?音響じゃないよ?みたいな。

一番は他のお客さんへの影響がね。

ホントに気を付けてもらいたいなぁ。

結局芝居はどうだったのよ?

これはねぇ、、、

 

 

面白かった。

歌も殺陣もダンスもない久しぶりのがっちり会話ストロングスタイル。

演出と演者さんの力でほんの少し笑いをプラスしただけのゴリゴリストロング。

セリフもまた今を生きる我らにクルものがいっぱい。

・妥協した。俺は妥協した。

・噛め。そして飲み下せ。今の自分の現状をまず腹に納めろ。

・理想も大義もない。ただ一つの望みを叶えるためだけの力が欲しくなる時がある。

ねえ?芝居してる人間なら皆こんなこと突き付けられることあるよねえ。

妥協しねえで

今の自分を認めて

本当に欲しいものを手に入れる。

至極真っ当な話じゃねえか。

・・・・・・・・・

それが簡単な話じゃねえんだよな

何にせよ本だけ読んだ第一印象とは大きく違うモノになったということで、これも演劇の面白さの一つ。

多悶さんが衝撃を受けたという話も大袈裟ではなかったようだ。

表面的で簡易的な時短の面白さはなくとも、じっくりたっぷりお芝居の面白さ。

うん。面白かったわ。

上野ストアハウスさんはよき。

宣伝でも忖度でもなくとても良い劇場かと。

小劇場という響きを当てはめるならばちょうどよい劇空間。

小劇場って客席キャパだけでは推し量れない独特な空気感があるのよね。

キャパはそんなでも雰囲気ホールみたいなところもあるし。

今回は劇場管理の音響さんともお話できて個人的にも満足。

いつも柔らかくご対応してくれる木村さん始めスタッフの皆様ありがとうございました。

まとめ。

トータルすると要は楽しい公演でした。

主宰の多悶さんはキャパオーバーしてそうだけど。

自分も主宰公演の時は「演者で出ちゃダメなんだ」と思いつつ出ちゃうからほんのり大変さは解るつもり。

テメエのやりたいモンやるのにその世界に自分がいないとか有り得ねえじゃん?

なんてね。俺はそう思うタイプ。

多悶さんはその辺どんな感じなのか今度聞いてみたい。

そんなわけで久しぶりの回顧ブログは終わり。

今はライトでポップな一時間モノに向けて準備中。

これはこれで好きだから面白いよね。

 

改めまして主宰の多悶さん、ご依頼頂きありがとうございました。

やりたかった世界の一助となっていれば幸いです。

そして演出、スタッフ、演者の皆さんもありがとうございました。

楽しかった。

またどこかで。

お疲れ様でした。

ここのところ、自身の内面の腐り具合が半端ないゼ。

ちょっとしたことでもイライラするし、他者に対しても優しい思いを継続できない。

こんな自分はイヤだ。

そんな中学生みたいなことを本気で思っている。

内面が腐っていくというのはおそらく自覚した頃にはまあまあ侵食は進んでいるものなのだ。

楽しいことねーかなー。

そんなことを本気とも冗談ともつかないノリで口にできる時点でろくな日々を送っていない証なのだろう。

電話した友達は何だかんだと日々懸命に生きているようだった。

本人は至って不満げではあったが。

少なくとも俺よりはちゃんと生きていると思う。

やべぇ。

友達に負けるのはいやだな。

勝ち負けで考えるのは間違いなのは知ってるんだ。

でもそういうところでうまいことプライド保ってんだ。

プライド。

俺ってこんな気持ち悪いプライドマンだったのか。

オモテに出すモノもコントロールして魅せたいモノを装ってきた節がプンプンだゼ。

ここらでもういいんじゃねぇかな。

失うモノはマジでもうない気がする。

この文章も大概酷いもんだ。

とてもいいオトナが書く文ではない。

だが書かないよりはいくらかマシ。

何もねえよりはいくらかマシなのよ。

何が書きたいのか。

何を遺したいのか。

何を喋りたいのか。

わかってないしわかろうともしてない。

そう。愚か者。

自虐をネタにできる内はまだまだ余裕があるってね。

さあどうする。

どうするよ。

などと思考せずにモノを書くとこうなるのよね。

病んでるのかもしれないけど、お医者さんには否定されましたとさ。

ちゃんちゃん。

姉の子供と初めて会った。

望みながら苦しみながらやっとの思いで授かった命。

まずは元気に生まれてきてくれて、健康に育っていてくれてありがたい。

俺は何にもしていない。これはマジ。

何なら結婚のお祝いすらまだしていない。

何とも薄情な弟。

一時期全く連絡を取らなかった。

正確には取れないように俺がした。

深い考えや理由があったわけじゃない。

ただ関わりを持ちたくなかった。

自分のことだけで、自分の世界だけでいいと思っていた。

まさに中二病。

当時から姉は家族の繋がりというものに拘る人だった。

子供の頃はワガママし放題の困ったちゃんだったのが、いざ母を亡くし父が家に寄り付かなくなって俺と二人の生活時間が増えるにつれて、妙に家族家族と言い出すようになった。

俺はというと、さっさと縁を切りたいと勝手に上京を決めて勝手に飛び出して以降、たまに帰っても親父と喧嘩する始末。

家に残った姉に

「あんたは好きにやってていいね」

と恨み節を言われたら

「じゃあアンタも出ていけばいいじゃん」

とにべもなく。

ホントにそう思っていたしね。

嫌なら自分で嫌じゃないとこに行きゃあいい。

そんな思考。

それでも姉は最終的にはいつも

「だって家族なんだから」

に着地する。

おれにはその思考が解らなかった。

正直今でもその思考と同じベクトルにはなれていない。

血の繋がりに何の価値がある?

大した意味もなくそんなふうな考え方がデフォルトだった。

連絡を断って約10年した頃に、友人に勧められて一度実家を訪ねた。

インターホンを押しても誰もおらず、仕方ないと近くの喫茶店で置き手紙を書いてポストへ入れて去った。

何を書いたか覚えてないが、姉曰く

「とりあえず元気に生きているから心配せずに」

的なことだけ書かれていて、連絡先も何もなかったとのこと。

出先から帰った姉はそれを見てまだその辺にいるかもと車で探したらしい。

当時の名刺を入れたつもりだったが記憶違いか単に忘れたか。

何にせよ姉はこの日にもう俺とは今後も二度と会えないのだろうと思ったらしい。

それから数年後再会を果たした時には目の前で泣かれた。

連絡を取れなくしたことを随分と恨まれた。

何なら今日も散々チクチク。

家族なんだから心配して当たり前。

家族なんだから連絡して当たり前。

俺には未だにその感覚はない。

家族のように想う人はいる。

その人たちの心配をするのは当たり前。

それと同じ感覚なのだとしたら悪いことをしたなと思うけど。

帰りに姉が言った言葉。

「今は連絡したら返してくれるアンタがいるだけで幸せ」

それは少しだけ解る気がする。

大事な人とちゃんと繋がっている。

それは確かにかけがえのないモノだと今なら解る。

またね

と当たり前に言えることは幸せなことなのだと改めて。

自分も誰かにとってそういう存在なのだということは自覚しなければならない。

血の繋がりだとか

大事な人だとか

そこに理由をつけないといけない思考は間違っているんだろう。

血の繋がりは確かにあるけれど、そんなことなど知る由もない3歳の姉の子供が俺にすぐ懐くのを見て

「普段人には懐かないのに、やっぱり家族って解るんやねぇ」

などという根拠のない家族論を吐く姉に反論しかけてやめた。

それを否定する根拠も経験も俺にはない。

何より自分の子供と遊んでいる俺を何やら嬉しそうな顔で見ている姉に余計なことは言いたくなかった。

ちゃんとした意味ではおそらく俺と姉の家族論は一致はしないんだろうけど1つだけ。

ありがとう。

何に対してかはまあ割愛だ。

さて、俺は俺でちゃんと生きなきゃ。

またね。

人は何かを失ってから大切さに気付くなんて聞き飽きたセリフ。

失ったことを自身がきちんと自覚して

「ああ ちゃんと失ったんだな」

と落とし込めて初めて気付くのだ。

その大切さとやらが如何程のものだったかに。

結局のところは。

ちゃんと生きることが肝要なのだ。

特別な何かではなく。

ただちゃんとしっかり生きること。

これをやっていればそうそう失うことなどないのだ。

理不尽な外的要因で失う痛ましい事故や事件はあれど、普通に生きていれば自身の生き方が要因となって失うことなどないはずなんだよな。

こうやって言葉で綴ると、今まで他人には偉そうに言えてたなぁと感慨深い。

大事な人、大事なモノは最優先で大切に。

いつ何があるかもわからないのだ。

だからこそせめて自身がちゃんと生きていないことで失うことなどないように。

しっかり生きること。

簡単なこと。

ちゃんと生きること。

当たり前のこと。

何とでもなることは何ともならないことにもなり得るということを。

今更ながらこんなことを綴っていることがしんどいわ。

戒め。

・・・戒めだとさ。

他人事みてーに思考できる手前が気持ち悪い。

な。

気持ち悪い。

読んでくれた方ありがとうね。

こんな文章でごめんね。

昔から何事も継続することが苦手。

好きなことを好きなようにやることは全然苦じゃなくてガッツリのめり込んで続くのだが、それ以外のやらなきゃいけないことだとかやった方がいいだろうなあということはまるでダメ。

自分で「これやろう!」と思ったことさえ続かないんだから困ったものだ。

要は怠慢気質なんだろう。

楽な方、楽な方へ逃げる典型的なダメ野郎。

それっぽい言い訳ややらない理由はスルスルと出てくるから質が悪いよな。

それで取り零してきたコトが数えきれないほどある。

後悔先に立たず。

結局はこれからもそれでいくのか変えることができるのか。

そこだけ。

人の本質は変わらないというのは真実だと思う。

変わるとしたら本質をねじ曲げて無理矢理変わった状態を維持することだ。

ちゃんとした意味で変わったなぁと自覚することは多分ない。

他者から見て変わったと見えることはあるかも。

自分は悪い意味で本質は変わらないままだ。

夢見がちな中二病を隠れ蓑に現実から目を逸らしながら斜に構えてうまいことやっている風を装うクソヤロウ。

それが俺だ。

病んでいるわけではない。

だからこそヤバいのだ。

病める人はある意味正常なのだと思う。

実感として確かに自身がヤバいんだと落とし込める人だからだ。

俺は病んだとしてもそれすら中二病の皮で誤魔化すことができる。

他者に対してだけでなく自分をも誤魔化せる。

これってまずいよね。

最強の怠慢野郎だぜ。

そんなわけで鋭意変わる行動思考を模索中。

模索しているほど時間もないので実行中。

この物書きもその一貫です。

どうか俺を応援してくれ。

世の中の流行り思考

「頑張らなくていいんだよ」

は堕ちる人間を増やしていくよ。

頑張った奴に言うのはいいけども。

頑張っていない奴には誰もそんなこと言わないもんよ。

言うとしたら自分が自分に。

頑張らなくていいんだよ。

別にいいけど堕ちるだけのクソになるゼ?

などと文字として認めておきます。

頑張るしかねーよなー。

読んでくれてありがとう。

応援してね。

ひょんなことから手に入れたアナログミキサーMG12。

MGシリーズは古いタイプから新しいタイプまで色々と出ているので、単にMGといっても様々な物がある。

今回手に入れたのはその中でも随分と古いタイプのMG12/4さん。

発売年は2003年!

19年経ってもまだ使えるのはなかなかよね。

そんなわけで本体はこちら。

・・・・・

分解する前の写真は撮り忘れました。

とりあえず動作確認したところガリや接触不良などそこかしこに見られたので、一先ず直るかどうかは置いといて分解分解。

とにかく目に見えるネジを全部取れば何とかなる。

大体何かを分解する時はまずは全部ネジを取ることからです。

たまに外しちゃいけないやつとか元のポジション確認しないまま外れちゃって後で泣くこととかありますが、そこはそれ。

虎穴に入らずんば虎児を得ずの精神でいこう。

ネジもツマミもフェーダーも全部取りました。

そしてハイターに浸ける。

※素材によっては劣化するのでオススメはしません。

そうして見えた中身はこちら。

写真には写ってませんがなかなかのホコリと汚れ具合でした。

エアブローでホコリをすっ飛ばし、接点復活剤やらパーツクリーナーやらアルコールやらで慎重に清掃していきます。

一通り清掃したら音だしチェック。

接点不良やガリもすっかり無くなりシャキッと音が出るようになりました。

あとは元に戻して実際にアンプなどに繋いで全箇所の動作チェックするのみ。

見た目は問題なくても音自体に問題が起きることもあるのでテストはやり過ぎるくらいがちょうどよい。

そんなわけで古ーいMGくんの復活成ったかなというところ。

イマドキアナログミキサー?という方も多いだろうし、デジタル全盛の時代ではありますが、liveメインで音だししない身としてはアナログミキサーはやはりお友達。

使う使わないではなく仲良くしておきたいわけです。

あとは単純にモノを分解するのが好き。

構造を知ることは楽しいものよ。

というわけで今回はここまで。

最後までお読み頂きありがとうございました。

※※※※※※※※※※※

改めてよろしくお願い致します。

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2022年7月より「クソみたいなユヅキが好きにしゃべるラジオ」としてリニューアルスタート。
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年に一度の健康診断に赴いた。

毎年のこととはいえ、やはり緊張の色を隠せないわたし。

そう。

健康診断ということはあの悪魔の作業が待っているのだ。

その名は サ・イ・ケ・ツ☆

そう!

採血だ!

、、、、、、、、、、


イヤだー!

問診やらレントゲンやら採尿やらは良い。

むしろ楽しさすらある。

タガシカシ。

採血、お前だけはダメだ!

あの針が刺さる気配、絶妙な加減の痛み、血を吸い上げる時の微かな熱量とその全てがわたしの心を穿つ。

しかしイヤだからといって採血から逃れられるわけでもない。

いつかは覚悟を決める時がくるのだ。

幸い採血は例年後回しされることが多く、心の準備を整える時間はたっぷりある。

今年もきちんと心を落ち着かせて、、、

「本日問診があとになりますので、先に検査だけ進めさせて頂きますね」

お?

毎回問診してからのスタートだったので出鼻を挫かれた感じだ。

「はい。分かりました。」

努めて平静を装い検査を待つことに。

すると間髪入れず

「ではまず採血からいきましょう」

???

え?

「まずは採血、、、ですか?」

「ええ。採血からです」

「またまたそんな」

「?」

「冗談ですよね?」

「どういうことですか?」

「、、、こんなことがあるんですね」

「よく分かりませんが行きましょう」

「はい」

採血ルーム?に連行されるわたし。

まずい。

全く心構えが出来ていない。

こんなフワついた内面では針が刺さった瞬間に泣いてしまうかもしれない。

着々と手際よく採血へのルートが出来上がる中、思考する。

どうすれば迷惑をかけずに時間を引き延ばすことができる?

グルグルと考えが巡りまとまらない中、看護士さんからの宣告。

「じゃあ採血しますけど、、、大丈夫ですか?」

間を開けずに応える。

「大丈夫ではないです」

「貧血起こしたりしたことありますか?」

「ありません」

「血を抜かれて倒れたりしたことは?」

「ありません」

「じゃあ大丈夫ですね」

「大丈夫ではないです」

「どのあたりが不安ですか?」

「採血という行為そのものが怖いです」

「もう抜きますね」

「わかりました。一思いにやってください」

「では刺しますねー」


・・・・・・・・・・・・・・


俺は勝ったゼ。

採血さえ終わればもうこっちのもんよ。

ルンルン気分で残りの健康診断を終えましたとさ。

ふー!

応援してね!IMG_20220411_142330

基本的に中二病要素を多分に抱えているわたし。
 
先日のTwitter離脱作戦も、人付き合いにおいて変な拘りやら意地やら綺麗事やらを持っていた結果良いことそんなにないよねって部分から来ている。

自身がおそらくおかしな奴なんだろうということは表では認めなくても自分としては自覚してましてね。

で、友達やら仕事仲間なんかはそんなおかしな奴を受け入れて?存在してくれている訳で、そこには感謝しかない。

ありがとうございます。

ここで本題。

友人関係であっても

「あれ?こいつイヤだな」

とか感じることは誰しもがあると思います。

わたしでいうと、あやいちやケンなんかにはしょっちゅう思うことあります。

でもだからといって「もういいや」とはならないし、関係性も変わらない。

もちろんこれはあの二人が寛大にわたしを受け入れてくれている部分が大きいわけですが。

じゃあ問題ないじゃん?

いやいや、あるのよ。

前述した通り、どうも自分には

「おれみたいなモノと付き合ってくれているんだから大事にしないといけない」

と思考する癖があるようで。

何も考えないで素で付き合えるのが親友だろ!

という人もいるわけですが、そんなのはホントに数えるほどしかいないよね。

そうなると、その「数えるほど」から漏れた人はどうなるか。

繋がりを考えながら相手を大事にしながら付き合っていくことになる。

このゾーンに入る人も数えるほどしかいないのだけど、わたしの交友関係どうなってんだってね。

ただまあ人間関係をそんな小難しく考えてる時点でめんどくさいことは確定なので、基本的には何か思ってもほっておくスタイル。

対象をほっておくというより、そう思っちゃう自分の思考をほっておく感じ。

この考えの中から進んだのが自分からTwitterを見にいかない作戦。

これを始めて数日経つけども非常に良い。

自身の思考に不純物が入らないのはとても健康的なんだなぁと実感している。

発信のために使うだけならやはりSNSは素晴らしいのだ。

なので発信ではないようなモノが目につくと途端に気持ち悪くなってしまうように。

これが弊害といえば弊害かな。

他者の目に触れることを思考しないモノや他者の目に触れるようにそれと分かるように書きながら逃げ道作ってる奴とかは吐き気がする。

やはり真っ向勝負できない人間とは仕事以外では無理なのだと、このわずか数日のTwitter断ち生活で確信してしまった。

かつてとある知り合いに言われて納得いかなかった言葉。

「あなたは大事にするべきだという考えに自分を縛ることが最優先なのよ」

今ならほんのり解る。

大事にすることの本懐を見誤って、結果大事なものを失ってきた。

大事にしているつもりってのもいっぱいあったと思う。

大事にする必要のないモノだってあるかもしれない。

これからは大事なものを取り零さないように思考を改めていこうというブログ。


このブログ発信ってのも他者の目に触れるコンテンツで、誰に向けて書いてるかわからないように逃げ道作ってんじゃん?

そう!

一回どんな感覚になるのかやってみるってことも大事ということさ。

どんな感覚かって?


気持ち悪いね。



最後まで読んでくれた方、どうもありがとうございました。

こんなわたしですが、それでも大丈夫ならお付き合い宜しくお願い致します

先日知り合いから質問があったのでそれについてちょこっとツイートした。


これに対してちょこっと意見?私見が寄せられたので、これはいい機会だと考えてみた。

内容としてはザックリ書くと

①みんなやってるけど特に問題になっていない

②柔軟な思考でやらないと表現が萎縮してつまらないものになる

③めんどくさい人ですね

まとめるとこんな感じ。

実際はもっと簡潔というか薄汚いというか、、、

言葉選びって大事だなぁと。


それは置いといて、まあ言っていることは何となく理解はできるし、実際こういう感覚の人も多いんじゃないかな。

で、まず最初に確認しておきたいのが、自分の言っている内容は

発信・配信する人

であった上で更に

演劇、表現をやる側の人

からの質問に対しての見解だということ。

巷に溢れるツイキャスなどのライブ配信アプリで配信している人全般に対してではなく、同業と括れる表現を生業にしている人に向けてというお話。

もちろん権利や著作権全般が非常に解りづらいのは自分もずっと実感しているし、それおかしくね?と感じることもある。

しかしそれを無視して著作権物を使って

これは自分の表現だ!

とやるのはしんどいと個人的に思う。

極論で語れない問題だから難しいんだけどね。

自分も旗揚げ公演の時はカツカツの予算の中、公演終了後に申請が必要だと知って慌ててJASRACさんに連絡したら淡々と事務処理され、金額を聞いて

「マジかよ、、、」

と呟いた記憶がある。

もうちょっと払っても納得できるような仕組みや応対をして欲しいなぁとは今でも思う。

感覚的には税金みたいなもんなのかな。


さてまたもや関係ない話になりそうなので話を戻そう。

とりあえず寄せられた意見に対する回答みたいなものを簡単に。


①みんなやってるけど特に問題になっていない

⇒問題になっていないのではなく、単に追いきれていないだけかと思います。
高確率のたまたま みたいな。

なので別に見つからなきゃいい、問題にならなきゃいいというのであればそれで良いのではと考えます。


②柔軟な思考でやらないと表現がつまらないものになる

⇒柔軟な思考が自身にとって都合のいい思考に刷り変わってないかがまず一つ。

もう一つは表現が面白いかつまらないかはそんなもんでは決まらないのと、制約の中でどう創るかも柔軟な思考だと考えています。


③めんどくさい人ですね

⇒そうなのよ。でも安心してください。自分が興味あるか好きな人以外にはこっちから関わらないので大丈夫。
一緒にモノ作りたいとも思わないしね。
お互いほっておきましょう。


こんな感じかな。


あ。

あとは包括契約の罠話。

包括契約してるから何でもOKではないよというのが肝。

例えば楽曲は使っていいけど演奏はダメとかもある。

配信サイトさんがJASRACと包括契約していても、JOYSOUNDと契約してなかったらJOYSOUNDが作成・権利を持っているカラオケ音源は別途許可がいるよーみたいな。

そういう面倒なことを考えると知り合いには
カラオケボックス配信は止めなさいとなるのよ。

もしくはヘッドフォンして配信にのせるのはアカペラとかね。


それもまた自由な表現の思考か。

自分が元々カラオケ行かない人だからそう思うのか、、、

今日は寒いね。

温かい気持ちで皆さん過ごしましょうね。

ではではまた。










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