台詞を何となく変える役者に問いたい。

純粋な疑問だ。

脚本には当然その書き手が存在する。

役者からしたらその一行、その一言にどんな思いが込められていて、どれどけの時間や思慮、苦悩があったかは解らないのかもしれない。

解らないのはまあ譲るとして、

同じようにエネルギーを使って解ろうとしてるか?

って話。

何となくで変えている?

言いづらいから変えている?

自分の感情的にその言葉が出てこない?

何なら変わっていることに気付いていない?

俺はイヤだね。

まずは真っ直ぐ、そのままの作家の言葉を入れること。

そのままの作家の言葉を一字一句そのまま口から吐くこと。

その作業をやってから初めて自分を出すんだ。

いきなり「自分は人とは違う」みたいなよくわかんねー感覚で変化球投げようとするんじゃねぇよ。

真っ直ぐできっちりストライク取れる自信と確信持ってから自分の持ち味発揮しろよ。

個性とかそんなもん狙って先に捻り出すもんかね。

意図も意味もエネルギーも使わずふんわり言い回し変えて、「これが自分の芝居」。

わかんねーよ。

もしかしたら、台詞を一字一句きっちり言えることって大事なことではないのか?

そこがスタート地点じゃなくても良い芝居が出来るんか?

ニュアンスや雰囲気さえ合ってれば大差ないもんできると普通に思っている人は結構いるのかな?

特別なこと言ってないと思ってる俺が意外と間違ってるってセンもある。

そんなことないだろとは言い切れない程度には見てきている。

変えることがダメって訳ではない。

その本を書いた作家に面と向かって胸を張って

「こういう意図と意味があって、あなたのエネルギーに負けないエネルギーで変えました!」

と言えればいいんだ。

それならいいんだよ。

ただそんだけなんだよ。

「台詞を一字一句間違いなくお客さんに伝えられる」

これって標準装備なんだとずっと思ってきたんだ。

ひのきのぼうとぬののふくなんだと。

リアルな話、どうなんかな?