我輩は人見知りである。

未だに治らない。

ふと思ったけど、この

「人見知りが治らない」

という表現も下手したら何かしら叩かれるのかな?

「治らない」という表現は「治さなければいけないモノ」と決めつけている!

みたいな。

そんな穿った考えが浮かぶくらいには2021年夏の世界は、正義だか正論だか倫理だかを証明することが全てみたいなところだ。

昔好きでやり込んだタクティクスオウガというゲームで、敵が絶対にこちらを攻撃できない安全を確保してからひたすら石(ゲーム内では武器扱い)を投げていたが、SNS上にはそんなプレイヤーが群れをなしている。

ゲームと現実は違う。

でもSNS上に存在する自分をゲームと同じ仮想プレイヤーの感覚で使っているやつが多い。

結局は想像力。

SNS上で他者に対して何かを投げ掛けたその時点で責任はあるのよ。

面と向かっては言えないなーと思うなら飲み込むのが吉なのよ。

声をあげるのが大事とか宣うならその石を返す場所を明示してから投げてくれ。

投げっぱなしは良くないって人に言う。

責任取れって人に言う。

じゃあ翻って己も同じことを言われてもいいようにしておくのが筋だ。

一番の解決はほっておく。

これに尽きる。

こんなことを書きたかったわけじゃねーんだよな。

人見知りについて書きたかったのよ。

くそう。

行ってきます。